2012年11月12日月曜日

オーギュストロダン 生誕172周年  ロゴ

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考える人で有名な彫刻家オーギュストロダンの生誕172周年だそうです。

ハチ公像とか上野の西郷隆盛像とかにも並ぶ子供でも知っている有名な
彫刻家であり彫刻。
にしても、ロゴから検索結果ページに飛ぶんで見てみたら、
【考える人】って【地獄の門】という作品の一部。
だってことを始めて知った!!いや~自分ってば無知だわ(^^;

国立西洋美術館の作品紹介>地獄の門によると
-*引用*------------------------------------------
1880年、ロダンは新しく建設される予定のパリの装飾美術館のために入口の門扉の制作を政府から
依頼された。
ダンテの熱烈な愛読者であり、既に1876年に『神曲』に取材した群像《ウゴリーノと息子たち》を制作していた彼は、
ためらうことなくこの門扉を「『神曲』を表わした低浮彫」の連作によって作りあげようと決心をした。
------------------------------------------*以上*-


ダンテに著作の長編叙事詩【神曲】に対して直接取材して得られたものを
ベースに作られていったんだそう。
好きな人の好きな作品を自分の解釈で自分の表現方法で形にするをしたわけだ。

なんか気持ちすごく判るっ。
キ○ィちゃんとか好きなキャラのマスコット作ってみたり、
授業中ノートの端っこに好きなアイドルのぱらぱら漫画描いてる娘もいたなぁ。
・・・次元が違うって怒られそう(^^;

ロダンは作品を作り上げる中でどんどんとダンテの思想から離れ、
自身の思想に深く入り込んだものを表現した作品となっていったようです。
考える人も最初は詩人であるダンテの姿として構想されたものだったそうですし。
考える人は地獄の
門の上に配置されてる、、、
ってことは、この人は地獄の門をくぐるべきか悩んでる人ってこと!?

国立西洋美術館の作品詳細>考える人のによると
-*引用*------------------------------------------
《考える人》は、死すべき者=人間の悲劇的な運命について永遠の思考を続ける普遍的存在となった。
そこには内的な苦悩と思索の激しさが、凝縮された量塊となって形象化されている。
------------------------------------------*以上*-


 とあるので、やっぱり一言でくくってはいけない雰囲気(汗

生きるべきか死ぬべきかと思い詰めてる。
いやいや、今日の夕飯は何にしよう。と考え込んでるのだ。
そういやパロディ作品ではお手洗い系が多いし(笑

という、どんな解釈しようとも鑑賞する側の勝手っといえばそれまでだけど、
見慣れてるのもあってか、その時によって【考える人】の印象が変わる。
やはり、ロダン自身が考え抜いてるからこそ万人に訴えかけることのできる
後世まで残る彫刻となったんですね。

考える人の他にも、地獄の門に関連した作品を制作しているので
ロダンの作品集とか見てみたら、堅苦しくて読みづらい解説でも
隅々まで読んじゃいそう。
でもって、まずは地獄の門を鑑賞した方がいいか。

ただ、地獄の門はロダンの生前に鋳造されることはなかったそうなので、
結局、美術館には使われなかったんですね。
なんで、使われなくても生きてる間に鋳造しなかったんでしょうね?
終生この制作と関連作品に取り組んでたのに。
まだまだ制作途中だったってことか!?
製作費の問題だったりして!?
なんて(汗
何はともあれ、死後でも鋳造が実現したのは
後世に生きる私たちにとっては、とても良かったこと。
生前から人気があったからなのかな。

でも関連作品も多いしロダン自らが実際に完成させてたら
【地獄の門】はどんな感じだったのか興味がわく。
考える人も全然違う場所に配置されてたかも。。
もう永遠に謎のままなんだなぁ。

それにしても、地獄の門はあちこちで展示されていて日本にもある。
だから、オリジナルはどこにあるのかって思ったら、
どの作品もオリジナルの型から鋳造されたものなので
世界中にある7点が全て本物。ってのも驚いた。
このあたり絵画とは事情が異なるもんなんだ。って勉強になるね。

考える人はあまりにも多く作品があるから異なる方法のもあるとは思うけど、
この辺りは調べきれなかった。どうなんだろう?
これは美術館にいくしかないのか。作品集を探すべきか。


リンク及び参照したページ
国立西洋美術館>作品紹介>考える人、地獄の門
ウィキベディア 地獄の門
ウィキペディア 神曲

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